シェイプ・オブ・ウォーター
緑、もとい、ティールを基調にした色彩設計が幻想的だった。
心が通じあえば姿形は問題じゃないと言うのは素晴らしテーマだがでもだからって異種交配もありなの?と置いてけぼりを食らった感じがした。
1960年代はアメリカの男根主義の絶頂期と言える時代だ。アメリカ人=白人というイメージが今よりも強い時代。理想の生活は家族を持ち、郊外の庭付きの家にすみ、キャデラックを乗るという時代。デルトロ監督はその時代のシンボルを少し大げさに描くことでこの時代のバカバカしさを表現している。
主人公の女性、イライザや隣人の芸の老人、職場の友人の黒人女性、そして半魚人たちはその時代の陰で言葉を持つことができなかった人たちだ。
これが自身がメキシコからの移民であるデルトロ監督の原初的なテーマなのだろう。
そういう60年代理想像として流行っていた白人マッチョ主体の映画の世界観がシェイプ・オブ・ウォーターでは真逆の意味になっている。当時なら主人公は白人男性だろうが今作では白人は悪役だ。また当時はヘイズコードがあり、性描写や暴力描写などが自粛されていたはずだが、今作では郊外にある庭付きの部屋で白人の悪役(名前を忘れた)と彼の美しい妻が子供を送り出した後激しいセックスをするシーンはなんとも皮肉だ。この辺りにもデルトロ監督のアメリカへの思いが垣間見える。