TOMYAM JOURNAL

世界の片隅でしたためる個人備忘録

スパイダーマン ファー・フロム・ホーム

アヴェンジャーズ・エンドゲーム直後、トニー・スターク(アイアンマン)がいなくなっても世界には次の脅威が襲いかかる。ピーター・パーカー(スパイダーマン)は修学旅行で好きな女の子と話がしたりごく普通のティーンエイジャーがするような生活を送りたいと願いつつもアイアンマンの後を継ぐヒーローとしての自覚と責任を試される。

 

前作では力を手にした少年が自分もヒーローになることに憧れ、アヴェンジャーズの一員としてスタークに認めてもらいたいがために気持ちが先走って失敗しながらもヒーローとしての資質を証明した。

 

今作は父親のような導いてくれる存在であるスタークを失い、さらにその後継者としての重圧がのしかかる。その重圧から逃れたいがため下した判断で、ピーターは世界を危険にさらす失敗をしてしまう。ヒーローは自ら判断し、それが正しいことなのか常に葛藤し続けなければならないという現実に直面する。これは現実社会で人が大人になることと重ねることができる映画だった。

 

ピーターはまだ自分は力不足だと、スタークが自分に託した形見をミステリオに渡してしまう。しかし、責任を全うするかどうかは実際に力があるかどうかはあまり関係ない。

修学旅行の引率のハリントン先生は、うだつの上がらないアンラッキーな中年男だ。彼と生徒たちは旅行の先々でトラブルに巻き込まれるわけだが、同僚のデルが責任を押し付けてくるなか、なんだかんだハリントン先生は頼りないながらも生徒の安全を守るという責務を全うするために奔走するのだ。スパイダーマンが彼の仕事ぶりを目の当たりにする機会がない(なぜなら戦っているから)のはあまりにも残念だ。

 

MCUの映画はストーリーの展開で御都合主義的なところが目立つ。アクション映画だしアクションシーンが及第点ならいいのかもしれない。しかし、ピーターが黒いスーツを渡される際に、金髪美女のエージェントからその場で服を脱げと言われ従いタイミング悪く生徒の一人に見つかり写メを撮られるというのはその後のサブテーマとしてのSNSフェイクニュースの話の展開のためとはいえ無理矢理だった。