TOMYAM JOURNAL

世界の片隅でしたためる個人備忘録

チャップリンとヒトラー メディアとイメージの世界大戦

チャップリンとヒトラー――メディアとイメージの世界大戦

大野裕之 著

「笑いは狂気に対しての安全弁となるのです。」

 

同時代を生きた、喜劇王と独裁者。喜劇王チャップリンが50歳位を超えて製作した『独裁者』はヒトラー率いるナチスが支配する全体主義の世界に対する批判を描いた映画だ。本書は『独裁者』ができるまでのチャップリンの遍歴と社会背景の解説を軸にして、同時代ナチスヒトラーが用いたメディア戦略との対比を考察している。

チャップリンは喜劇を作ることで何と闘ってきたのか、アメリカや、母国イギリスからの理解を得られないながらも自ら資金を投じて『独裁者』を作ることにこだわったのは何故か。それは個人の自由を愛した、チャップリンの人生が始終権力者対弱者の闘いだったからだ。

 

それではその闘い方とはどういうものだったのかというと、喜劇王という名の通り、チャップリンの武器は「笑い」だった。苦しく暗いときにこそ笑いが人を救うと信じていた。チャップリンの映画の代表作といえば小柄でチョビ髭の放浪紳士チャーリーのドタバタ劇のサイレント映画だ。チャーリーは社会の底辺に暮らす弱者を象徴している。チャップリンの映画はそんな弱者と権力者との闘いやときには機械社会が進むにつれて個人の人間らしさが失われて行く社会を風刺しているものが多い。そんなチャーリーが権力者たちといたちごっこをしたり工場の中で右往左往するドタバタ劇を見ることで、観客は実際の社会のおかしさを笑いながら実世界に潜む狂気を認識することができる。

チャップリンは作り物のフィクションだからこそ真実を浮かび上がらせることができるという映画の機能を熟知していた。

 

映画の主流はサイレントからトーキーへ移る。

 

この技術の進歩はヒトラーに追い風となった。ヒトラーはその演説の巧みさで自身を神聖化させカリスマとなった。トーキーの技術はプロパガンダとして使用された。ナチスは演説をするヒトラーの姿を大量に複製し全国にばらまいた。ユダヤ人への恐怖を捏造し、政策を宣伝し、世間を興奮状態にすることで求心力を高めていった。そして、この映画によるメディア戦略がナチスを政権の座につかせる大きな要因となった。ヒトラーも映画というメディアの機能を熟知していた。政策を伝えるということよりも力強い総統のイメージをより多く世間の目に晒すだけでメッセージとなるというメディアの持つ宣伝の側面を巧みに利用した。

 

一方、チャップリンは『独裁者』のラストの演説で初めてチャーリーに声を与える。ヒトラーを模した姿のチャーリーの演説はチャップリンが長年戦ってきた全体主義や権力者による圧政、もちろん明確にヒトラーナチスに対する批判だった。本人が自称する「平和の扇動者」という言葉通り、平和を煽る演説と言える。


great dictator speech charlie chaplin

 

 

本書ではメディアには毒があると書かれている。それはたとえ真実を写したと謳っているドキュメンタリー映像でさえ、人の手で編集された時点で恣意性が生まれてしまう。それがメディアの持つ毒ということだそうだ。それを見る側はそこに「誰が何を語っているか」ではなく「誰が写っているか」ということだけを簡単にメッセージとして受け取っていまうものらしい。チャップリンはその毒を使ってヒトラーの毒を制するために『独裁者』を作ったのだ。

 

著者は本書にこう記している。

『独裁者』をめぐる闘いは、メディア=毒を駆使して頂点に上り詰めたヒトラーチャップリンによる、メディアにおける闘い、チョビ髭を巡っての闘いだった。