TOMYAM JOURNAL

世界の片隅でしたためる個人備忘録

[書籍]青春を山に賭けて 

青春を山に賭けて (1977年) (文春文庫)

植村直己 著

 

冒険家植村直己の名前を聞いたことだけはあった。私自身クライミングをするようになってから、アウトドア方面のことにも多少目が向くようになっていた。

しかし、私は未だに凍傷で手足の指を失うことや、遭難して死んでしまうことも珍しくないアルプス登攀や冒険になぜ人は惹かれるのだろうと思う。先日、登山家の栗城氏がエベレストに挑戦中に命を落とした。何年か前には凍傷で手足の指のほとんどを失ったというニュースも見たことがある。困難に立ち向かい乗り越える姿は人々に勇気を与えるのはわかるが、それは指を失ってまでしてやることなのだろうか。指を失っても諦めないということがそんなに大切なメッセージなのだろうか。見る側がどう受け取るかはそれぞれの判断だが、登山家や冒険家本人からしたら、彼らが登山や冒険を続けるのは自己満足でしか無いのだろう。誰のためでもなく自分のためだけに続けているのだ。その資金集めで企業にスポンサーについてもらう場合、企業からすればスポンサーする相手を通して自社のメッセージを発信する広告塔になってもらわなければならない。そうすると登山家や冒険家は自らのチャレンジに共感してもらわなければならないわけだが、そこで指を失ってでもチャレンジし続けようというのは狂気の沙汰でしかないのではないか。

その点、植村氏は冒険や登山とは誰のためでもない、自分の為だけのものだと記述している。それとスポンサーが付くつかないは別の話だし、時代も違うだろう。本書では、植村氏は冒険の費用を自分で稼いでいる。肉体労働をし、生活費を切り詰め、次の冒険の計画を立てている。もちろん冒険先でもお財布の中身はシビアだ。しかし、だからこそ自由なチャレンジができたのだろう。

 

本書の中で特に好きな話は、大学卒業後アルプスを登るために少ない現金を持って海外へ出て行くところだ。植村はまず、アメリカに渡り資金作りを計画する。計画といってもアメリカはヨーロッパよりも生活水準が高いからそこで金を稼ぎ、生活水準の差分を活動資金に当てようという大雑把なもので、実際にはアメリカに渡ってから仕事を探すという行き当たりばったりの計画だった。もちろん就労ビザなど持っていないから、違法労働である。

結局、移民局に捕まり強制送還の一歩手前まで陥るが、奇跡的な出会いと機転で運よく乗り切るのだ。このようなギリギリの状況で機転を利かせて乗り切るということがこの後何度もある。結果として運任せのギャンブルのように思えるが、運というのは差し迫った状況で一歩踏み出せるものに味方するものではないだろうか。

その後、植村は強制送還とまでは行かずともアメリカから追い出される形でフランスへ行く。そこでも生活費を確保するために仕事を探すのだがこれまた、運よくスキー場のパトロール係の職を得るのである。フランス語もスキーもできないのにである。これは絶対にアルプスに登る、出なければ全てを置いて日本をでた意味がないという大きな目標と熱意が植村に味方したのだろう。植村と一緒に仕事を探しにきたフランス語を流暢に話せるイギリス人がいたが、彼は仕事にあぶれてしまった。その理由を植村は、「自分は言葉が話せない分行動で示すしかなかったが、彼はフランス人とコミュケーションが取れる分、それがただおしゃべりをしているだけと評価されたのではないか。」と考察している。植村はスキーができないのにできると言って職を得た。本格的に冬が到来し、スキーを履いて雪上で仕事をする際、最初の一滑りで無残にも転んでしまい、スキーができないことがバレてしまう場面がある。この時マネージャー含めそこにいたフランス人の同僚たちが一同爆笑し、「大丈夫、スキーは1ヶ月もすれば滑れるようになる。君はここで仕事を続けてもいいんだよ。」とマネージャーは植村のスキー技術を見抜いた上で雇い入れていたというエピソードも好きだ。さらにこのマネージャーは植村に就労ビザのスポンサーになり滞在を許可するという好待遇をオファーする。これによって植村はその後、3年フランスを拠点にアフリカやネパールなどの山々を登攀することになる。

本書の中でこう言った植村氏の愚直な行動の結果として周りのサポートを得て、目標に近づいて行く過程が読み手にも勇気を与えてくれる。

 

私も昔、オーストラリアで生活していた経験があるが、この植村氏の行動力と比べると恥ずかしいくらい腑抜けであった。オーストラリアは英語圏であるが英語が満足に喋れないといことに気が引けて仕事を探す際、中々自分を売り込むことができなかった。その都度、もっと英語ができればと考えていたが、愚直に飛び込む行動力がなかったこと、そして植村氏のように金銭的に切迫した状況ではなかったことが慢心を産んだのではないだろうかと今は思う。

 

青春を山に賭けて (1977年) (文春文庫)

青春を山に賭けて (1977年) (文春文庫)

 

 

 

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