TOMYAM JOURNAL

世界の片隅でしたためる個人備忘録

老舗銭湯にて個人経営について思ったこと〜湯船は僕らを思考させる〜

京都にあるサウナの梅湯という小さな銭湯がある。最近、20代の若者が後をつぎ経営をしているということで雑誌でも紹介されている。

この前、京都に寄った際にせっかくなのでよってみた。

建物は老朽化していているが、店内は明るく良い雰囲気だった。脱衣所も浴場も清潔だった。料金は大人430円でタオルやその他の用品はレンタルや購入することができる。浴場にはシャンプーとボディソープが備え付けであるので、手ぶらで行ってもタオルを一枚レンタルして500円以内に収まるのでとても利用しやすい。

ただそれだけでは終わらない。浴場内にはオーナーが定期で書いている銭湯新聞のような記事が壁に貼ってあり、湯船に浸かりながら記事を読みオーナーの思想や、地域の情報などを知ることができる。洗面所にの水道口の上には近所のお店の広告が貼ってあり、浴場内がメディア化しているのも、銭湯を面白くしてお客さんに喜んでもらおうという努力が垣間見える。個人的に面白かったのは梅湯のタトゥーに対する見解という記事だ。タトゥーお断りの是非が議題に上がる昨今、銭湯とタトゥーの関係の歴史を知って、これから先どのようにこのテーマを考えて行きませんかというようなアジテートをしてくれている。

その成果は間違いなく出ているだろう。銭湯を利用する客は地元の人たちだけでなく、若者、僕のような旅行者、さらには外国人も見ることができ賑わっている。

先ほどの店主による記事を読むと店主の銭湯愛が伝わってくる。梅湯のような小さな銭湯は京都だけではなく全国にまだ存在しているが、そのほとんどが次第に廃業に迫られているらしい。記事には梅湯だけではなく、住んでいる地域の銭湯を利用してください。そして銭湯文化を守って行きましょうと書いてある。

人口が減少している昨今、そしてスーパー銭湯のような大型銭湯に人が集まってしまい昔ながらの個人経営の銭湯が苦戦を強いられているというのは、その他の業界を見れば想像に難くない。だから個人店を利用して守りましょうというのはわからなくもない。

 

ただ、僕はその一文を読んで疑問に思った。

まず、衰退しているから保護しようという考えは甘いのではないか。

個人経営の店が廃業に追い込まれているのは競争力がないからだ。

僕が普段利用している近所の銭湯は個人経営だが正直行ってサービスが悪い。

大人が650円でシャンプーやボディソープの備え付けは無し、ミストサウナはここ1年以上修理中で、故障中のロッカーも数も増えている。子供は2歳から450円かかる。これでは子連れが利用しづらい。オーナーは高齢のおばあさんで、客層は近所の50代位以上の人たちが常連だろう。今はまだそこそこ活気があるが、あと数年したら廃業してもおかしくはない。もしかしたらこのまま数年やったら引退して、店を畳めばいいかなんて考えているのかもしれない。後継がいないならあり得なくはないし、そうなったら今更銭湯に活気を取り戻してやろうなんて野望も必要ないだろう。そして競争力は必然的に下がり、客足はスーパー銭湯に向かう。

銭湯を始め、あらゆる種類の個人店が閉業の危機に瀕しているのはオーナーの高齢化を始めとする競争力の低下だ。昔はそこに店を構えておくだけで利用者が来たが、今では大型資本が客を商店街や個人の思いせから吸い取ってしまう。店主たちは高齢化し、サービスを向上させる体力もモチベーションも残っていない。

しかし、梅湯のように野心を持った者が経営に乗り出し、知恵を絞ってサービスを向上させれば客はまた戻ってくるはずだ。割りのいいビジネスではないだろうが廃業は免れ、細々ながらも続けていくことはできのではないか。スーパー銭湯にはできないサービスにファンができ、支えてくれるのではないだろうか。

問題は若い野心に満ちた者がなかなか現れないことだろう。銭湯経営となると設備費用もそれなりにかかるので手を出すのも二の足を踏んでしまうだろうし。

そんなことを湯船に浸かりながら考え、少子高齢社会の深刻さを改めて感じたのでした。