TOMYAM JOURNAL

世界の片隅でしたためる個人備忘録

[映画]はじまりへの旅

監督 マット・ロス

社会から離れ、森の中で暮らす一家。資本主義や宗教、社会のシステムを一切信用せず、自身の能力を鍛えることでサバイブしていくことこそ人間の本質と信じるヒッピーの父親ベンを演じるのはヴィゴ・モーテンセン。彼は妻と共に子供達をその思想を元に青立てていたが、ある日妻は精神病を患い自殺してしまう。

妻の両親から、娘をキリスト教の習いで土葬すると伝えられたベンは、仏教を信仰する妻の遺言通り火葬するために、子供たちとともに妻を奪い返しに行く。

 

物語の最初の方は父親と子供達が森の中で狩をしたり、自給自足をしたり戦闘の訓練をしたりする生活のシーンがある。この辺りは、なんだヒッピー的なライフスタイル賞賛映画なのかと思い気だるい感じだった。しかし、その後ヒッピー親父のベンは自身の価値観が甘いものだったと痛感させられる。この作品はヒッピー礼賛ではなかった。そう思っていた世代の人間が歳をとり、親となり子供達の将来を考えた時、社会との折り合いをどうつけるかを突きつけられる話だった。

 

本作の中で好きなシーンは、妻の葬儀中に教会乗り込む場面だ。ビルは赤いケバケバしいスーツを着込み、子供達もカラフルな服で参列する。周りは皆喪服だ。どの宗教でも人が亡くなった時は黒く落ち着いた服を着て死者を偲ぶ。

確かに、どうして死んだらみんな一様に黒い服を着て落ち着くのだろうか。もちろんそれは死者に対する礼儀を表すためだろう。確かにそれは正しいが、それ以外の選択肢もあってもいいのだ。ビルの妻は仏教に傾倒しており、おそらく無常という概念が好きだったのだろう。死んだら火葬して位牌はトイレに流してと遺言にしている。なんともカラッとした死生観だ。そんな彼女の死は陰鬱なムードで弔うより、あの世への旅立ちとして賑やかに送り出すほうが合っている。このキリスト教に法って土葬するというのは残された両親の、つまり社会の意向なのだ。そうすべきだという慣習の結果であり、それこそビルが忌避するものなのだろう。

ここで私は自分が死んだ時のことを想像したが、やっぱり悲しまないでどんちゃん騒ぎで笑いながら送り出してほしいなと思うのだ。

 

 

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